8月12日より15日まで夏休み! 青函トンネル海底駅を見学し、北海道でSL函館大沼号に乗り、東北では気仙沼大島に上陸し、東日本大震災後4度目となるボランティア活動もしてきました。
現地よりケータイでブログアップしましたが、デジカメでも撮った分をアップします。
ケータイ 1日目 (青森・竜飛海底駅・函館)
http://blog.uchino-atsushi.com/?day=20110812
ケータイ 2日目 (SL函館大沼号・盛岡)
http://blog.uchino-atsushi.com/?day=20110813
ケータイ 3日目 (浄土ヶ浜・被災地・気仙沼大島)
http://blog.uchino-atsushi.com/?day=20110814
ケータイ 4日目 (気仙沼大島・海の盆ボランティア)
http://blog.uchino-atsushi.com/?day=20110815
夏休み3日目は、三陸の景勝地「浄土ヶ浜」からスタート!
浄土ヶ浜も東日本大震災で大津波が襲来しました。
現在、遊歩道が津波で流され通行不可能のため、昔懐かしいボンネットバスが無料で運行されています。
ボンネットバスでわずか5分ほどで、浄土ヶ浜前に到着。
巨大津波が到来したとは思えないほど、きれいで静かな海辺です。
娘・聖火も透明度抜群の浄土ヶ浜の海で水遊び。
しかし、浜のすぐそばにある「浄土ヶ浜レストハウス」は津波被害で閉鎖中。
きれいにリニューアルしたばかりで津波に襲われたそうです。
レストハウス前ではテントで「イカ焼き」などを販売していたが、ちょっと離れていて、お客さんはあまり行かれていませんでした。 せっかくならバス停前で販売していたなら、みんな買うと思うのだが・・・
「浄土ヶ浜」近くの宮古市内の様子。 公民館と一緒にあった消防団の詰め所も津波に遭い流失。
消防団の皆さんは無事だったのだろうか? 私も同じ消防団員としてすごく心配です。
郵便局も中はすべて流されていました。
5月に石巻市や女川町に行きましたが、郵便局はどこの町でも津波被害に遭っていました。
浄土ヶ浜から宮古市内に向かう途中のガソリンスタンド。 ガソリンスタンドもどこの町でも被害が甚大です。
今日は、宮古市から気仙沼まで国道45号線を南下。
磯鶏では交番がメチャクチャ。 目の前の交差点も信号機が消えたままです。
山田町の山田港では漁港が壊滅。 とても漁ができる状況ではありません・・・
漁船が津波で重なり合っています。 悪臭やハエもすごく多かったです。
山田町を山田郵便局方向より見渡す。 商店などが立ち並んでいただろう国道沿いは何も残っていない・・・
わずかに残っている建物も、住める状態ではない。 ほとんどに「解体OK」と書いてありました。
ドラックストアー薬王堂。 三陸沿岸の店舗はかなり津波被害を受けていました。
私が見ただけでも4店舗が営業できない状態。 (仮設店舗で営業されていました)
東日本大震災から5ヶ月が経ちましたが、船や車はそこら中に転がっていました。
道の駅やまだから見下ろすと、鯨と海の科学館が見えました。 なんと、その周りはガレキの山。
鯨と海の科学館の周りは、とにかくガレキ・ガレキ・ガレキ・・・
漁船も流された時のまま・・・
前須賀海水浴場の堤防には、船が引っかかっていました。
船の左下に車が通っていて、堤防の高さは想像できると思いますが、高さ10メートルはあると思われる高い堤防ですら津波は越えました。 海水浴シーズンですが、誰も泳いでいませんでした。
国道45号線と平行に走るJR山田線ですが、陸橋が至る所でことごとく流されていました。
線路も砂利も枕木もすべて流失。 とても復旧できそうもない・・・
やはり町が甚大な被害を受けた大槌町の吉里吉里海水浴場。 津波で座礁している漁船を娘・聖火が眺めていました。
暑いので波打ち際を散歩。 真夏の海辺なのに誰もいません・・・
無邪気な娘・聖火の後ろには、無残な廃墟。 とても海水浴はできません。
被災地のコンビニの多くが、メチャクチャ。 原形を留めていない・・・
大槌町にあるプレハブ仮設コンビニ。 商品は充実していました。
大槌町役場。 すべてを津波が襲いました。 言葉も出ません・・・
大槌消防団の消防車。 このような状態の消防車を何台見ただろうか・・・
釜石市小白浜漁港の大防波堤。 見るも無残に破壊されています。 そして、集落も流失。
巨大な防波堤が・・・ 津波破壊力の凄さを実感。
巨大防波堤の下へ。通常はこの防波堤内側の集落は見えませんが、見渡せるようになっています。
この後に、大船渡市から都筑区に避難されている方の集落に行く予定でしたが、国道45号線が大船渡市街を通らないバイパス(大船渡三陸道路)になっていて、気が付いたら大船渡市を過ぎてしまいました。 気仙沼大島行きの船の時間もあるので、戻るのは断念しました。
町全体が壊滅した陸前高田市に到着。 沿岸部はガレキすら残っていない悲惨な状況。
名勝「高田の松原」。 200本以上の松が美しい景観を保ってきたが、津波で1本以外流されてしまいました。 一本の松が、「奇跡の一本松」として、しっかりと大地にそびえ立っていました。
一本松以外は、すべて流されてしまいました。 根本から折れた無残な松が並んでいました。
一本松近くのガソリンスタンドで給油。 事務所も窓など流されていました。
高田の松がお出迎え。 身長約80センチの娘・聖火よりも大きい切り株。
窓も無い事務所では、たくさんのメッセージが掲げられていました。
高田松原の松から作った木札のキーホルダーを購入。 売上げの一部は陸前高田市の復興に役立てられるそうです。
ガソリンスタンドには「一本松展望台」が併設。 なぜかテレビの枠が・・・
テレビの枠を覗くと、一本松が見えました。
ガソリンスタンドの隣の気仙中学校。 校舎すべてが津波に飲み込まれたようです。
17時30分に気仙沼港に到着。 本日の宿泊地の気仙沼大島行きのカーフェリーに乗ります。
大島汽船の事務所も被災。 現在はプレハブ事務所で頑張っています。
気仙沼エースポート内の元乗船券うりば。 もちろんここも流されています。
出航まで港の周りを散歩。 コンビニもご覧とおり。 気仙沼は高潮で水浸し。
地酒「男山」の建物。 傾いています。
森進一さん「港町ブルース」の歌碑。 海側にペコリと折れ曲がっています。
娘・聖火は出航までカモメに餌をあげていました。 ちなみに、事務所でえびせんも売っていて、航行中にカモメに餌としてあげます。
18時10分出航のカーフェリー「ドリームのうみ」。 約20台車が乗せられるが、満車でした。
大島汽船のカーフェリーが気仙沼大島で陸に打ち上げられているので、広島県江田島市より無償供与されているそうです。
約30分ほどの船旅で、気仙沼大島に上陸。
気仙沼大島に到着した時には、薄暗くなってしまいました。
今夜は「気仙沼大島休暇村」に宿泊。 お刺身・魚のから揚げ・おでん・角煮・サラダなどの夕食。
被災している中で、美味しい食事ができてありがたいです。
ちなみに、宮城県・岩手県・福島県の被災3県では、地デジ移行が1年猶予。 今でも、アナログ放送が見られます。
テレビでは、イモトさんが、私も登頂したアルプス最高峰のモンブラン登山に挑戦していました。
ちょうど、ペルセウス座流星群が観測できる日なので、気仙沼大島の空を見上げましたが、満月のお月さんおかげで明るすぎて、流れ星を見ることはできませんでした。
明日は早朝から気仙沼大島の島内を巡ります!
デジカメ 1日目 青森⇒竜飛海底駅⇒函館!
http://blog.uchino-atsushi.com/?eid=1152765
デジカメ 2日目 SL函館大沼号⇒盛岡!
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デジカメ 3日目 浄土ヶ浜⇒気仙沼大島!
http://blog.uchino-atsushi.com/?eid=1152767
デジカメ 4日目 気仙沼大島!
http://blog.uchino-atsushi.com/?eid=1152768
デジカメ 4日目 気仙沼市街⇒南三陸町!
http://blog.uchino-atsushi.com/?eid=1152769
デジカメ 4日目 松島・海の盆 ボランティア!
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