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えだきん商店街




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 復興パートナー都市・宮城県山元町でボランティア!
   

昨日の日曜日に東日本大震災後6度目となる被災地入りし、先月に横浜市と復興を支えるパートナー都市となった宮城県山元町でボランティアをしてきました。

復興パートナー都市 http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1201190017/

まもなく東日本大震災から1年が経ちますが、山元町は津波により海岸堤防や防災行政無線などの防災施設・設備が破壊されたことで、長い間、避難指示区域となっていましたが、仮設堤防・仮設防災無線局の設置完了を待ち、昨年の11月に避難指示区域を解除されたことから、個人宅の支援・側溝掃除・地域産業支援活動など、改めてボランティアの手が必要になっている地域です。



ボランティアバスは土曜日の18日午後9時に横浜を出発。 日曜日にボランティアをする夜行日帰りのボラバスです。



東北自動車道を北上。 午前3時に福島県の国見サービスエリアに到着。 ここで仮眠タイム。

小雪が舞い、雪が積もっております。 やはり東北地方です。



朝ごはんは、福島納豆付きの芋煮定食をいただきました。 ごはんをお替りして元気いっぱいになったので、被災地での活動に頑張ります!



朝8時前に宮城県亘理郡山元町のボランティアセンターに到着。



山元町ボランティアセンターには作業道具一式が揃っていました。



今回の神奈川県からのボランティアは35人ほど。 作業する道具がすでにトラックに積み込まれ、ラジオ体操で体を慣らした後に、すぐ作業地へ出発。



作業地は、今は津波被害で休止区間の常磐線山下駅から東(海方面)へ1kmほどの浄正寺近くの地区です。 今回は、側溝泥出し作業がボランティアの活動となります。



右奥の建物がお寺さんです。 この地域は、津波被害が甚大で、多くが流失し、残った建物はとても住める状態ではありません。



側溝泥出しの作業開始。 道路の脇に津波で運ばれた土砂が積もり、草が生えてしまっています。

活動中は写真が撮れないのと、他の人が写り込むのがNGとの事で、休憩中にパチリ。



積もった土は塊っていて、その上−3度の気温でカチカチに凍り、スコップではびくともしません。 
すこしづづ掘るしかありません。



やっとのことで土を取り除き、側溝のふたを開け、側溝の泥出しをしています。 この側溝のふたを開けるのもかなり大変で、側溝のふた開け機も使い物にならず、人力でやっと開けることができます。



側溝のふたを閉め、作業完了。 土嚢袋には取り除いた大量の泥が入っています。

これで、被災前と同じように側溝が使えるようになりました。 



お昼休みに作業場近くの様子を見に行きました。 この地域は海からも近く、地域全体が被災していました。



2階まで津波は襲ったようです。



被災した民家の玄関には、こいのぼりが泳いでいました。



1階部分はどこも被害がすごいです。



この家もXマークがしてあり、全壊です。



車もオートバイも無残です。



写真の家がこの地方の独特の造りのようで、しっかりした造りですが、多くは被災していました。



このしっかりした家は残っていますが、周りの普通の家は土台から流失していて、家すらありません。



農家さんの納屋も骨組だけになっています。



この家は左側が海で、津波で流され木に引っかかって止まったようです。



「きぶどうジュース」で有名な田所(林)商店も大変な被害がありました。 倉庫の中は一升瓶が散乱していました。 復活が待ち望まれます。



田所(林)商店さんの歴史のある土塀もなまこ壁が崩れておりました。



まだまだ町はこんな状態です。



海に近くなると、大量の砂が地域に覆っていました。



海岸線にはガレキが高く積もれていました。 写真の奥が海岸線になります。



海岸近くの木は、津波に押しやられた方向に傾いています。 去年青森の防災林で見た光景と同じです。



ガレキの前にて。 寒いので、作業着の下は着込んでいます。



海岸線はガレキ置き場。 いわゆるガレキの山。



木の向こうが海岸になりますが、仮設堤防があり、近づけません。



作業場付近にはトイレが無く、ボランティアセンターの方が車でトイレがある常磐線山下駅まで送ってくれました。 この付近は津波被害が甚大で、いまだに不通区間です。 駅舎も津波被害からか閉鎖されていました。



電車が通らない線路は草が生え、時間の経過が感じられます。



仙台方面は、架線が垂れ下がり、その先は線路が流失していました。



作業が終わり、作業場近くの神社さんへ復興祈願へ。 神社は本殿含めすべて流失。 鳥居の支柱のみが転がっていました。



神社には、お寺災害ボランティアのみなさんが復興を願って建てた鐘が作られておりました。



鐘の向こうにはガレキと被災した家があり、まだまだ復興には遠い道のりです。



鐘には絵馬のような木のメッセージボードが用意されていて、平和の象徴の聖火の想いを、今回同行できなかったうちの娘・聖火の名前を書き、復興祈願してきました。



鐘にはたくさんのメッセージが掲げられていました。 早く地域復興されることを望みます。



午後3時前にボランティアセンターがある山元町役場に戻ってきたときには雪が舞い始めました。

この写真を撮った直後に、緊急地震速報が流れ、緊張しましたが、茨城県北部で震度5弱で、こちらでは揺れは感じなかったです。



ボランティアセンターでは山元町の名産であるいちごが販売されていました。



甘くて美味しい復興いちごをお土産に買いました。 被災地の商品も買うのも復興支援です。


今回訪れた山元町はまだまだボランティアさんの手が必要な地域です。

最近は各地でボランティアさんが減っていると報道がありましたが、私自身も時間があれば、今後とも被災地に入りたいと思っています。



ちなみに、都筑区では東日本大震災から1年目の3月11日(日)にセンター北駅にて「わすれない 3.11 応援しよう! 都筑から!」が開催されます。 ウチも出店しますので、ぜひ来て下さい。




被災地入り 1回目 2011年5月4日 「女川町復興市ボランティア

被災地入り 2回目 2011年5月25日 「東松島ボランティア

被災地入り 3回目 2011年7月3日 「防災林植林ボランティア

被災地入り 4回目 2011年8月15日 「松島お祭りボランティア

被災地入り 5回目 2011年11月13日 「石巻市立大川小学校献花」 「SL宮城石巻復興号乗車

被災地入り 6回目 2012年2月19日 「山元町ボランティア


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