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 大船渡の被災者さんと再会! バラ聖火を植樹してきました!
   

6月2日(土)と3日(日)に、岩手県に行ってきました。 今回は、4月まで横浜市都筑区に避難していた被災者の方に会いに大船渡まで行って来ましたが、せっかくなので両日運行された「SL銀河ドリーム号」と「SLイーハトーブいわて物語号」にも乗車してきました。 現地からケータイで投稿しましたが、デジタルカメラで撮った分をブログアップします。


昨年の3月11日の東日本大震災の影響で、病気治療を要する岩手県大船渡市のHさんが、被災地の病院が被害を受け、十分な治療が受けられないことから、震災後に横浜市都筑区に避難し、近くの昭和大学北部病院に通いながら、都筑区で生活されていました。 何も知らない土地なので、いろいろサポートさせていただきました。 そして、ゴールデンウィークを前に故郷の大船渡に帰れることになり、引越しなどをお手伝いし、再会を約束しました。 当初は、そんなに多くはない都筑での生活の荷物を運びながらゴールデンウィークに大船渡に行く計画もありましたが、遠慮されて荷物を業者さんから送られたので、当初の予定から1ヶ月遅れての訪問となりました。



Hさんのご自宅は、今は津波被害の影響で運休の三陸鉄道南リアス線・越前赤崎駅から山側に入った集落にあります。

写真は、大船渡の主要道路の県道9号線から、陸前赤碕駅方面を望む。 この地点で海岸から400メートル付近。 奥に見える盛土と陸橋が見えるのが越前赤碕駅で、海岸から600メートルです。

この駅前は、商店が立ち並ぶ住宅地でしたが、何の建物も残っていませんでした。



海岸から600メートル地点の三陸鉄道南リアス線の陸橋。 陸橋の柵が、津波によって倒されています。



橋脚の高さ表示を見ると、橋脚の足の部分から川面まで7メートルの表示があり、橋脚の足の上には2メートルほどの線路の部分があるので、10メートルを越す津波が襲ったことが分かります。



Hさんの自宅に到着。 1ヶ月半ぶりの再開です。 とても元気そうで良かったです。

尚、写真に写ることについては許可をいただいています。

私が立っている後ろがHさん宅で、ここにも津波が襲ってきました。 ここで海岸から1100メートル地点。 写真の道の奥に、先ほどの三陸鉄道赤碕駅があります。 道の左側に川が流れており、被害が拡大されたようです。

いろいろ津波が襲来した時の様子を説明してくれました。 Hさん宅は、津波の直撃は免れたようですが、川の反対側の地区は大きな被害があったようです。 ほんのちょっとの地形の違いで大きな被害に遭ったようです。



Hさん宅の脇を流れる川。 当日は、川は涸れていましたが、東日本大震災の時は、津波が遡上したそうです。



川の左岸(海側から見ると右岸)は、越前赤崎駅に向かうほど多くの建物が被害に遭っていました。写真は、神社があったようです。 鳥居に似せた赤い支柱と狛犬が残されていました。



集落から海側へ。 三陸鉄道陸前赤碕駅は、盛土となっており、それだけで奥の集落は津波被害が軽減されたと思いますが、写真の手前には陸橋があり、そこから津波が奥の集落を襲ったようです。



陸前赤碕駅から海側を望む。 駅前の商店・住宅地がすべて流され、Hさんも「すべて無くなった」と肩を落としていました。



現在は津波被害で運休中の三陸鉄道南リアス線・陸前赤碕駅のホームに上がってきました。 ホームからは、600メートル先の大船渡湾の海面が望めます。 海から駅までは平地のため、すべてが流されてしまいましたが、写真の左側に建物が残っています。 小学校だそうです。



建物が残っている大船渡市立赤碕小学校に行ってみました。 海から400メートル地点です。



中は立ち入り禁止なので、窓から教室を見ます。 黒板は残っていますが、教室内は津波が襲いました。 現在はヘドロは乾いていますが、泥だらけの状態です。



どの教室も、とても勉強ができる状態ではありません。



廊下も天井が垂れ下がり、1年3ヶ月前に子供たちが勉強していた学校とは思えません。



給食室も什器が散乱。 給食黒板のSLのイラストが、昨日SLに乗ってきたので心に痛みます。



体育館も甚大な被害。 2階部分も津波に襲われていることから、体育館すべてが津波に飲み込まれたと推測されます。



体育館のステージ部分。 津波が壁を破って貫通しています。 左側の校歌の歌詞プレートは残っていました。



体育館のフロア部分。 天井は崩れ落ち、バスケットボールのゴールが体育館だったと分かります。



尚、Hさんの両親は、県道9号線沿いの幹線道路沿いでお米屋さんを営んでいたそうです。 ちょうど写真の草むらあたりにお店があり、海から400メートル地点です。 写真の右奥の階段がある建物が陸前赤碕駅です。 ここから見ても、あの高さの線路を津波が越えたことを考えると、ここのお米屋さんの跡地は、津波の直撃を受けたのが分かります。



東日本大震災当日は、お米屋さんがあった場所から、県道を渡り、海から200メートルほどの保育園がある高台に避難されたそうです。 その高台が地域の避難場所だったそうですが、海のすぐそばで怖かったそうです。 写真の奥の階段を上がると保育園がある高台となります。 



赤崎小学校前の住宅が流された場所から、保育園を見ています。 保育園の高台も津波による浸水を受けたそうですが、命は助かったそうです。



県道沿いにもいくつかの建物は残っていましたが、生活は出来る状態ではありません。 ここも屋上の柵が流されていることから、津波にすべて飲み込まれたと思われます。



お昼にHさん宅で、お昼ご飯をご馳走になりました。 三陸のお寿司にお母さん手作りの煮物などをいただき、とても美味しかったです。 お母さんは、1966年の昭和三陸津波と1960年のチリ地震津波にも遭わられたそうです。 今回の東日本大震災では、お店は流されてしまいましたが、自宅は無事だったので、被災後は、親類の2家族が身を寄せていたそうです。 ご自宅の周辺にもたくさんの仮設住宅がありましたが、親類の皆さんも仮設住宅に移ったようで、Hさんも横浜から戻ってきたようです。 実は、ホテルに泊まらずにHさん宅に泊まってと言われていたのですが、迷惑を掛けてはいけないと思い、今回はホテルに泊まりました。



お昼ごはんをいただいた後は、大船渡の景勝地「碁石海岸」を案内してくださいました。 当日は、海も穏やかで、写真の乱暴谷は普段は岩に打ち付ける波がすごいそうですが、凪ていました。



うちの娘・聖火もみんなと一緒に遊歩道を歩きながら、雄大な景色を楽しんでいました。



碁石岬の灯台でパチリ。 この先に展望台があります。



展望台に到着。 目の前には、三陸の大海原が広がっています。 この美しい海が暴れたとは信じられません。 ちなみに、写真の奥には、先週ボランティアした気仙沼大島の亀山が見えます。



展望台で、美しい海を眺めながら、「もう二度と暴れないでもらいたい」と願いました。



碁石岬からちょっと移動して、一番の名所の穴通磯へ。 被災地観光の大型バスも寄っていて、賑わっていました。



穴通磯は、本当に美しかったです。



ちなみに、碁石海岸のお土産屋さんには、大船渡銘菓のかもめの玉子の人形があり、聖火が気に入っていました。



帰り道、たくさんのこいのぼりが泳いでいました。 先週の気仙沼大島でも泳いでいましたが、復興の願いが込められています。



地元の女の子が遊んでいて、一緒に写真に収まってくれました。 一日も早い復興を願います。

この後、大船渡の中心街を通って赤崎に戻りましたが、中心部は赤崎の集落よりもすごかったです。
大きな建物は残っていますが、周りの商店や家は津波で流されており、土台だけが残る街でした。
また、大船渡銘菓のかもめの玉子の本店は、崩れたままの建物が残っており、看板のかもめが悲しい顔に見えました。 市街地では運転していたので写真は撮れませんでしたが、忘れられない街並みです。 まだまだ復興には程遠い感じです。



今回の大船渡訪問の目的のひとつに、平和の象徴の「聖火」のバラを植樹することです。

被災地に桜を植える植樹も盛んですが、ウチは、娘と同じ名前の「バラ聖火」を植えさせていただきました。



津波に襲われた大地を掘り、バラ聖火の苗を植えます。 みんなで手伝って、土で埋めます。



うちの娘・聖火が、バラ聖火にお水をあげました。



バラ聖火の植樹を終え、みんなで記念撮影。



毎年、見に来たいです。



バラ聖火は四季咲きなので、季節ごとにお花が楽しめます。

 
 


津波被害で倒れた大船渡市の標識の横にバラ聖火を植えました。もちろんHさん宅の敷地内です。



1100メートル先の大船渡湾がある海側に向けて植えさせていただきました。

ちなみに、昨年7月には、津波被災地の青森県八戸市でも防災林のクロマツの植樹ボランティアもしました。


また、バラ聖火を見に来ながら再訪する約束をし、Hさんとお別れしました。 次に来る時には、大船渡が復興しているのを夢見ています。



また、三陸鉄道南リアス線の全面復旧も夢見ています。 中々厳しい現実ですが、一歩一歩前進してもらいたいです。

南リアス線のガードをくぐり、「SLイーハトーブ号」に乗車するため、一路北上駅に向かいます。

しかし、SLは北上駅を17時5分の発車時間ですが、カーナビの到着予定時間は、17時21分。
間に合いません。 とりあえず北上駅を目指して運転しますが、果たして間に合うかどうか・・・。

続きは、明日のブログで・・・。



被災地入り 1回目 2011年5月4日 「女川町復興市ボランティア

被災地入り 2回目 2011年5月25日 「東松島ボランティア

被災地入り 3回目 2011年7月3日 「防災林植林ボランティア

被災地入り 4回目 2011年8月15日 「松島お祭りボランティア

被災地入り 5回目 2011年11月13日 「石巻市立大川小学校献花」 「SL宮城石巻復興号乗車

被災地入り 6回目 2012年2月19日 「山元町ボランティア

被災地入り 7回目 2012年5月13日 「つくば竜巻ボランティア

被災地入り 8回目 2012年5月27日 「気仙沼大島ランフェスタボランティア

被災地入り 9回目 2012年6月3日 「大船渡の被災者さんと再会&バラ聖火を植樹



「SLイーハトーブいわて物語号」 の見送り!
 http://blog.uchino-atsushi.com/?eid=1153237

「SL銀河ドリーム号」に乗ってきました!
 http://blog.uchino-atsushi.com/?eid=1153238

「フォルクローロいわて東和」 に宿泊!
 http://blog.uchino-atsushi.com/?eid=1153239

 大船渡の被災者さんと再会! バラ聖火を植樹してきました!
 http://blog.uchino-atsushi.com/?eid=1153240

「SLイーハトーブいわて物語号」に乗ってきました!
 http://blog.uchino-atsushi.com/?eid=1153241


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